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  071
  
最古の蓮の陶器は?

 それは「白陶封口?」です。1977年、中国山東省菖県で出土し、同博物館に所蔵されているも のです。今からおよそ6000年前の昔、新石器時代、大?口文化の遺物で、高さ24p。3本の脚をもち、ふたの部分が蓮の果托状になっていて、全体が凝った特異な形をしています。雌蕊を思わせる ふたの小さな穴から、湯気が出たり、しずくが付くことで、朝靄に浮かぶ蓮を彷彿させます。この陶器をよく見ると、作者がいかに蓮を光景と共に観察し造形に表現したか、当時の中国人の文化性に目を見張ります。
 粘土を成形し焼成するものを、日欧では陶器とよび、石の粉(長石系)を混ぜて焼成するものを磁 器とよびます。中国では、1000度以下の焼成物を陶器とし、それ以上の温度のもの、釉薬のかかるものを磁器とします。中国やオリエントにおいて土器類が作られるようになったのは、紀元前7000年頃のようです。
 ちなみに日本では、縄文時代(1万年以上前)すでに土器が生まれていました。それは700〜8 00度程度の素焼がほとんど縄文式」とよばれ、縄目のある器です。2500年〜1700年
このころの器は「弥生式」とよばれ、日本各地から出土しています。いずれも低い温度で焼成され、硬度 が低く、割れやすいものでした。約1500年前、大陸から1000度以上で焼成する、窯焼きの技 術が伝わり、ようやく実用的な陶器が作られるようになりました。
 白陶封口?は、かくも古い時代、すでに実用品から芸術品の域にまで達した陶器です。一般的な時 代認識を変える作品といっても過言ではないでしょう(T)。

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  072
  最古の蓮の玉器はなに?

 それは、中国・唐代のものとされる「双鳳紋玉佩」(そうほうもんぎょくはい)でしょう。北京の 故宮博物院に収蔵されています。
 ところで玉(ぎょく)とは、乳白色や緑、青などの美しい石のことです。科学的にいえば、硬度が 5〜6ほどの軟玉(なんぎょく)と、硬度が7くらいの硬玉(こうぎょく)に分けられます。この硬 度は、ダイヤモンド(硬度10)を基準としています。
 写真の「双鳳紋玉佩」は、向かいあった一対の鳳(おおとり。あるいは鳳凰か?)が、すかし彫り になっています。その鳳たちは、蓮の花のうえに止まっています。鳳たちの尾は、雲紋(うんもん)
とともに、高く舞うかのようです。 佩(はい)とは、身に佩(お)びる
ことです。この中国最古の蓮の玉は、たぶん上部のあなにヒモ
をとおし、身につけたものでしょう。その主は誰か? などと想像の翼を広げるのも楽しいです。 玉(ぎょく)にも色いろありますが、乳白色で古いもの(羊脂玉)であれば、最低でも、同じ重さの黄金の価値があるそうです(G)。

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  073
  最古の蓮の青銅器は?

 それは「晋侯臥壷」(壷蓋上飾蓮花弁)です。1993年、山西省曲沃県の晋国の墓地から出土し た一対です。西周(前10〜8世紀)の作品と推定され、高さ58・4p、口径18×22・8p、腹径24×34・ 2p。ふたの部分に波状の蓮弁の装飾がなされている、きわめて荘厳な工芸品です(写真右)。
 中国の青銅器は殷(商)以降、秦から唐に至るまで、鼎・酒器・食器・楽奏鐘・武器・馬車の模様・ 文字・文章・透かし彫りを施した工芸など、粋を極めた作品として、おびただしい数が制作されてい
ます。
 王其超先生の研究資料によると、最も優れた青銅器の蓮の作品は、1923年、河南省新鄭の李家 楼から出土した一対の「蓮鶴方壺」だそうです(写真左)。それは春秋の中期(前5〜6世紀)の作品で、高さ126p、口径は24・9×30・5p、重さ64・28sで
あり、方形をした壺です。その蓋の 部分が蓮の花弁となり、中央に鶴が立ち、羽を広げて、いまにも飛び立とうとしているかのようです 。
 この春秋時代の蓮鶴方壺が、その後の時代の作品に勝るとも劣らない精緻な青銅器であることに、 いまさらのように驚かされます。この一対の青銅製の蓮の壷は、北京の故宮博物院と河南省の博物館 に、それぞれ収蔵されています(T)。

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  074
  最古の金属の蓮はなに?

 それは鳥獣紋蓮弁金碗(ちょうじゅうもんれんべんきんわん。写真)でしょう。唐代(618〜9 07)のものとされ、北京の故宮博物院に収蔵されています。
 取っ手の部分は確かに、鳥の頭とくちばしを思わせます。碗の糸じりからは、蓮の花の蕚(がく) と花弁が8枚、大きく、力強く、立ちあがります。そのうえに刻まれているのは、鳥たちや動物たち であり、いくらかデザイン化されています。その一部は、植物の文様であるかも知れません。
 この金色で、8枚の蓮の花弁によって作られる空間は、それほど大きなものではないようです。ど こで、どんな時に、ここに何を満たし、誰が賞味したのでしょうか? 葡萄酒の可能性? そんな
ことをフト思いました。
 この鳥獣紋蓮弁金碗は、厳密にいえば、メッキされたものであり、金製とはいえません。ただ、メッキという技術が当時(10世紀以前)、すでに確立していたことは驚きです。金ムクで、古い蓮の芸術品を知っている方は、どうか蓮 Q&Aの編集部まで、ご一報ください(G)。

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  075
  最古の銀製の蓮はなに?

 それは蓮花銀碗(れんかぎんわん。写真・左)でしょう。6世紀の中国、東魏(534〜549) の作品で、いまは北京の故宮博物院に収蔵されています。
 中国の歴史では、強大な王朝ができる前に、短命な政権があります。漢のまえの秦、唐のまえの隋 などです。その隋のまえの百数十年を、南北朝といい、興亡した政権は10を数えます。その1つが東 魏(とうぎ)です。
 東魏はわずか16年でしたが(秦は15年)、蓮の花の銀製の器を残してくれた点で、注目し、感謝し ます。ゆったりと広がる器は、よく手入れされるのでしょう、輝いています。波のような蓮弁が、そ
こを占めています。底にあるのは果托でしょう、小さな穴やオシベもあるようです。
 銀は貴金属であり、金ほどではないにしても、腐食しにくいです。そのため歴代の中国では、金で はなく銀を、通貨の基本としました。銀本位制です。金融機関の銀行はその名残であり、銀座とはもと通貨(銀貨)をつくった場所のことです。中国で最後の王朝には、「龍紋大清銀幣」という、芸術品さながらの銀コインがあります。それはマニアたちの垂涎(すいぜん)の的です(G)。

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  076
  
最古の蓮の画像磚は?

 それは、中国の漢代の「蓮池漁猟画像磚」(写真・下)です。画像磚(がぞうせん)とは、焼いたレンガに浮き彫りをほどこしたもので、壁の一部としたり、墓の内装に用いられます(今も、昔も同じです)。
古代の農業社会において大地は、作物を生産する恵みの地であり、生きていくための信仰の地でもありました。何時の時からか人々は蓮の花を、生産や吉祥を寓意する花として親しむようになりまし
た。それは、仏教がインドから中国に入ってくるよりも、はるか昔のことです。この画像磚は、墓の内壁を装飾したもので(1984年、四川省三界里出土)、大きさは25p×44 p。このほか「庄園農作画像磚」(四川省博物館蔵、縦3メートル×横3メートル)という大物もあります。
 いずれも吉祥を寓意する動植物や行事、日常生活などが描
かれています。蓮の花もその一例です。
広大な蓮池や蓮田には、葉が茂り花が咲き乱れており、そこに舟を漕ぎ入れて、漁をとり、花を採取し、鳥を射ています。
 蓮花文では、「蓮池画像磚」(1952年、四川省徳陽県出土)、「採蓮画像磚」(1978年、四川省新都里出土)などがあります(Z)。

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  最古の蓮の漆器は?

 漆器が歴史上に登場したのは、今から5900〜6400年程前の中国のようです。長江下流、杭州市近くの河姆渡(かぼと)文化層で、漆塗り椀が出土しています。
日本では、今から4000〜5500年程の前の縄文晩期、青森三内丸山遺跡から出土した、漆椀があります。八戸の是川遺跡からは木胎、籃胎の漆器が出土しています。
 これらの漆器に絵、文様が描かれ、それが最古の「蓮」となるとやはり中国、前漢(BC206〜)初期の耳杯(じはい)だと、王其超先生は書かれています。
 (写真・右)は、その中心に千弁の蓮の花、その周囲に3匹の亀が描かれているとてもすばらしい作品です。
 亀が水草をくわえたり、泡をはいている図柄で「蓮魚文」と呼ばれています。中国では蓮池の水禽図は、吉祥を寓意していてとて
も親しまれています。そこから「連年有余」(連年の余剰)や「年々有余」(毎年の余剰)などの吉祥語や吉祥図も生まれています。  また、魚と蓮の文様は韓国・武寧王陵出土の銅椀などにもあります。
 日本では福岡県番塚古墳出土の太刀に、蓮の花をくわえた魚の文様があり、大陸文化の影響とつながりをみることができます。ちなみに英語で、china は陶磁器を、japan は漆器を、それぞれ意味るのも、興味ぶかいことです(K)。

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  078
  最古の蓮の扇絵は?

 扇の絵というのは、あまり大きくないのですが、その芸術的な価値はけっして小さくありません。 蓮の花の咲く頃、それを自分のために用いるだけでなく、周囲の人たちの目にもとまるからでしょう

 絹や紙に描かれた作品は、残念ながら、その材質に寿命があるため、あまり古いものは期待できません。そうした理由から、南宋(1127~1249)、呉炳(ごへい)の筆になる「芙蓉出水図」が、最古の扇絵と考えられています。
 宋朝(北宋と南宋)は、軍事的には強くありませんが、芸術や文化では唐代に比べていいほど、高い水準にあります。呉炳の絵はじつに写実的であり、立葉のうえに咲く大きな蓮を1輪だけ描いています。見事な花です。2日目でしょうか? 条線がくっきりしてお
り、花弁の先の部分の赤色がことのほか濃いようです。
 手もとには、扇の絵だけを集めた『扇面之美』という画集などがあります。そこには蓮をふくむ花や、鳥たちが描かれていますが、呉炳の「芙蓉出水図」(北京・故宮博物院に収蔵)には、遠く及ばないという印象です。 この芙蓉(蓮)の品種名は?(G)。

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  日本最古の金属の蓮は?

 それは、管見になりますが、峰ヶ塚古墳(大阪府)から出土しています。さほど大きくはない(写真・下)ですが、その数は約50個もあり、注目されています。
インドや中国と同様、わが日本でも、仏教が誕生する前から、蓮の花の文様をもつ装飾品が愛用されてきました。この歴史的な事実は、複数の古墳から、多様な蓮花文をもつ文化財が出土していることからも明らかです。
 さて、峰ヶ塚古墳ですが、それは大阪府羽曳野市にある古市古墳群の南西部に位置しています。
 5世紀末〜6世紀初頭の築造と推定されていますこの古墳から出土した飾り金具は、蓮の花が満開の時、それを真上から見た状態のものです。それをクリアに切り抜いたかのような金具です。
 その数、約50個。飾り金具のほとんどは銀製ですが、金銅製の
ものが数点含まれていました。蓮の花の大きさは直径が35ミリ〜52ミリで、厚さは0.5ミリ。花弁の数としては8弁、7弁、6弁の3種類です。花弁の彫金は優美かつ細密で、表面の仕上げは極めて細緻です。これらの花弁の先端には、2つの穴があいていることや、繊維が付着していたことから、スパンコールのように使用されていたものと思われます。
同様の金具の蓮花文が「藤ノ木古墳」(奈良県)などからも出土しています(Z)。

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  080
  
正倉院のなかに蓮を探せば?

 たくさん、ありそうです。
 正倉院の御物は、聖武天皇の七十七忌に際し、光明皇后がその御冥福を祈って東大寺に献納されたものです。御物の種類は書跡、文房具、調度、仏具、服飾、楽器、武具、薬類、遊戯具など多岐にわたり、いずれも由緒が正し伝世品です。以下に、蓮の遺愛品を見てみます。
 「蓮華残欠」は、花の高さが30センチ、池の長さが33センチで、蓮の花が咲く蓮池を模しています。蓮池の底は、白緑彩で、白砂を敷き、貝殻を散らしあります。蓮は茎が金銅製で、花は金泥彩、葉は銀泥彩です(写真・左)。
 「漆皮金銀八角箱」は、蓮台の上に2羽小鳥が乗り、そのまわりを蓮の花や法相華風の花や葉が鮮やかな色で描かれています。
 「紅牙撥鏤尺」は、蓮台の上に小鳥が乗る文様の物差です。
 「緑金箋」は、緑麻紙に金砂子を散らした散華であり、東大寺大
仏殿の開眼供養の時、堂塔の鴟尾から散華したと思われるものです。現在三枚だけ残っています。
 このほか、散華を乗せたと思われる竹製の「華籠」(天平勝宝4年の銘)、背面の飛鳥と蓮の花が出色で、特に蓮の花は象牙、緑染め野角、ツゲ、シタンで象眼されている4絃の「紫檀木画槽琵琶」 、「白檀製の蓮華座」、「蓮華形鈴」、「蓮華形香炉台」(漆金薄絵盤)など、数えきれません(Z )。