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  021
  蓮の花は、開く時 熱くなる?

 数多くある植物の中で、植物体が自ら発熱して開花するのは、非常に稀です。オーストラリア、アデレード大学のRC・セイモア准教授は、蓮をはじめ、サトイモ科の植物、オオニバスやヤシ科植物において発熱作用を、確認されました。
 蓮の場合は、開花1〜2日目の花托に触ってみると、花托表面が外気に比べ、ほのかに暖かいことが確認されます。蓮は開花1日目に雌蕊が先熟して、2日目に雄蘂が後熟します。
 受粉は開花2日目に行なわれ、ミツバチなどの昆虫が花粉を雌蕊に運びます。蓮にはよい香りがあり、受粉作用を手伝わせるため、香りで昆虫を誘うわけですが、その成分は揮発性で、自らの花托を発熱させることにより「香炉中の燃焼した炭」と同じような役割を果たしているのかもしれません。 また、東京大学大学院農学生命科学研究所付属実験所の南定雄技官(当会会長)が、発熱作用について実験された結果、花托の内部
 
において、開花前日から開花3日目までの間、盛んに発熱作用が行なわれいることを明らかにされました。推測ですが、発熱作用は雌蕊や雄蘂を成熟させるために必用な温度を保ち、また、受粉後、潤滑に受精を行なうために必用な温度を、自ら作りだしているのかもしれません。
 発熱作用について、セイモア准教授は、「百年前、日本のK・ミヤケは、蓮の花の中に温度計を入れて観察した。気温が25度の時に、花の中は35度もあることを見い出した」とある。これは、帝国大学の学生であった三宅驥一が、明治31年『植物学雑誌』に、英文で発表したものが、セイモア准教授の目にとまったものと思われます。 (Y)

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  022
  蓮は、お茶にできる?

 誰でも開花した蓮花に出会うと、馥郁とした香りを感ずるだろうと思います。この香りは花托を取り巻き、金色に輝いて見える雄蕊から発しています。開花2日目の香りが最も強く漂い、日常とは異なる雰囲気を醸します。
 この時の雄蕊を切り取って、数時間水に浸け置いたり、或いは直ちにお湯 (80度位) を注ぎますと、仄かな甘味と共にこの香りを体内に巡らすことが出来ます。しかし採取した雄蕊は、香りが日持ちしません。
 ところがベトナムの宮中ではこの香しさを、お茶の葉に吸収させる方法を確立し、蓮茶として長年飲用していたものが今日まで伝わっています。
 その方法は、多量に採取した雄蕊の上に茶葉を7度も載せ替え、根気よく香りを移すという手間のかかるものです。まさに東洋文化の粋と言えるでしょう。蓮香が融合した茶の香味は見事なものです。(品によりばらつきがあるものの、香りはそれなりに籠もっています)。蓮香茶は急須で普通に煎じられます。君子を思わせる香は、器に臭気を染みつかせません。蓮の香りを抹香臭いと嫌がる人もたまにいます。本能や世事に関心が向いていれば、この高尚な香りを煩わしく感じるのかもしれません。 

蓮葉は品種によって香りの強いもの(西湖紅蓮等)があり、乾燥蓮葉として蒸し物や包み焼きに使用されます。日本でも蓮葉
の蓮茶が、各地で生産されていて容易に入手出来ます。 販売されている乾燥蓮葉の中には、乾燥処理が粗雑だったり、日が経ち過ぎ、香りの失せた黴臭いものもあり、注意を要します。中華食材店等に置いてある真空包装されているものは、ベトナム蓮香茶に匹敵する香りまでは無理ですが、大量の蓮茶を手軽に煎じることもできます。また、蕾や花を丸ごと乾燥させたものもあり、これも蓮茶として出回っていることがあります。
 蓮は地下茎(蓮根)や、葉、花の茎にも香りを持つ品種があります。これらも蓮茶として加工販売されています。
 蓮実の胚中には濃緑の芽が出来ており、この抜き出した芽は強い苦みを持つ蓮子芯です。中国では歴史的に漢方薬(心臓や肝臓に有効で精神安定にも効果があるとされる)として服用されて来ました。台湾の漢方薬店、韓国大邱市の漢方薬街でも扱われています。
 近年ではこれを煎じ、蓮芯茶として飲用され、蓮子芯を抜いた実は、料理や菓子、また粉末にし利用されています。このように文化的に優れたものを伝承し、供給出来る体制こそ、真の意味で成熟した社会と申せましょう。(T)

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  中国的、藕調理法?

 多様性の中国です。広さは日本の26倍強、人口は10倍であります。その中国には、それこそ星の数ほども、レンコン料理があるでしょう。どれが「中国的」か、正直なところ、頭が痛い問題です。
 ところで、蓮・藕・荷について、ここで復習しておきます。古くからの中国語では、蓮はハスの花を、藕はレンコンを、それぞれ意味しました。それが今日では、荷が一般的となり、蓮の花は荷花です(特に北方で)。また藕は、1字では分かりにくいらしく、話し言葉では蓮藕が多いです。
 蓮藕排骨湯を、中国的レンコン料理として推挙します。その理由は、スペアリブ(排骨)とレンコンを炊くと、ともに美味しくなり、そのスープ(湯)はいかにも滋味に富む、という印象だからです。 
 忘れられない蓮藕排骨湯は、武漢の王其超先生ご夫妻宅でいただいたもの(写真)。
 2000年4月29日のことです。レンコンは乱切りで、排骨よりも
大きく、食べると糸を引きます(納豆のように)。王家のテーブルには、他にもご馳走があったのですが、丼ほどのお碗の蓮藕排骨湯をお代わりしました! これには、ご夫妻も目を細められていましたが、
 王先生「そんなに口に合いますか!」  
 張女史「日本はお魚がいいから、排骨でなく、魚で作っても美味しいはずです」とのことでした(G)。

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  024
  
広東的、藕調理法?

「広東の三水に、花蓮の本格的なテーマパークがあるから、一度どうぞ」と教えてくれたのは、王其超先生ご夫妻でした。
 広東(カントン)は、1967年、最初の中国で体験しており、その後も何度か訪れています。だが三水という地名は、不明を恥じるようですが、知りませんでした。
 その三水にある「荷花世界」を最初に訪れたのは、2001年6月のこと。その規模に仰天したことは、「蓮通信」4号に報告しておきました。そこでは触れなかったことに、広東的、蓮藕調理法があります。
 その「広東的蓮藕」の料理です。三水の荷花世界には立派なレストランがありました。数えきれないほどの単品とは別に、なんと「蓮づくし」で5品と7品のコースがあるではないですか!。 
われらは前者を注文しました。そのメニューはと言えば舌を楽しませる前菜の2種、目に美しい「蓮の花のテンプラ」(前頁の写
真)や「スズキの蓮の葉蒸し煮」、胃袋をトコトン満足させてくれた「蓮の実とシイタケうま煮」「具だくさん蓮の葉ご飯」などでした。さすが「食は広州にあり」です。日本では「大阪の食いだおれ」といいますが、飲食にかける情熱は、思うに、広東のほうに軍配が上がるような気がします。惜しむらくは、6月の広東では、最高気温がすでに30度以上もあり、こちらの食欲には限界がありました。残念!(G)

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  025
  台湾、藕調理法?

 024の「広東的、藕調理法」と同様、台湾で一般的というより、例外的ご馳走に、「蓮子美食大餐」(写真、1999年、白河)がありました。「蓮オンパレード、大ご馳走」とでも名づけましょう。
 台湾の中南部にある白河が、蓮の知名度Aであることは、資料などで了解していました。まさに、百聞は一見に、でした。
 日本の農協にあたる「農会」の責任者の蘇さんが白河の蓮の歴史や現況について説明してくれました(方言のため、チト苦戦)。
 観蓮のためのブースや、蓮田への案内をしてもらった後、仮設のテントへ。
 じつは、その方向から美味しそうな匂いが漂ってきていたし、腹の虫はとっくに動きだしており、「蓮子美食大餐」と大書した色とりどりの旗も、すでにカメラに。 蘇さんの合図とほぼ同時に、ウエイトレスたちが我がテーブルに並べたのは、蓮郷喜臨門 醋レンコンなど冷菜5品
 蓮子浴翡翠  フカひれ入り蓮の実スープ
 蓮子蒸鱸魚  スズキと蓮の実の蒸し煮
 蓮子春巻蝦  蓮の実とエビのサンド
 荷葉蓮香飯  具だくさんの蓮の葉ご飯
 蓮花浴鳳凰  地ドリ丸ごと中華うま煮

などでした。写真にはないものとしては、苦味のきいた「蓮花茶」や、甘〜い蓮の実アイスも、絶品でした!
 台湾の花蓮や藕料理については、第5回例会(1999年9月)と、会報3号(2000年1月)において報告済みです(G)。 

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  026
  
蓮の実は、飛ぶか?

 蓮の実飛ぶ」が季語として俳句歳時記に載っています。松尾芭蕉と同時代の人にその作例があり、また、『滑稽雑談』(1713年)には、「…おのづから飛出るなり。…」と評されています。江戸時代前期には、既に蓮の実の「落ちる」さまが「飛ぶ(飛出る)」ととらえられていて、俳諧(俳句)の世界では俳諧師(俳人)の知る表現になっていたと思われます。
 植物体としての花托には、鳳仙花の種のようにバネ仕掛けがないので、自力で実を飛ばすことはできません。しかし、敗荷となって枯れ残った花托を見ると、いつの間にか実が抜け落ちてしまっているものがあります。江戸時代の俳諧師は、その蓮の実が花托から離れて落ちる瞬間を、「飛ぶ」と見立てたのでしょう。
 自然描写としての「落つ(=落ちる)」では、ごく当たり前の表現に過ぎませんが、「飛ぶ」という見立てには、蓮の実の生命感や躍動感が一瞬の内に凝縮されていると感じます。
 俳諧(俳句)は江戸時代になって確立した文学形式なので、季語としての「蓮の実飛ぶ」は江戸時代以降の表現ということができるでしょう。古典和歌の世界にも蓮に関して詠まれた作品はありますが、その多くが「蓮」と「露」(「玉」)とを素材にした仏教的な和歌です。蓮の景観を詠じた叙景歌もありますが、純粋に「花」の美しさを愛でるという詠歌はない(少ない)ようです。「蓮の実」を詠じた和歌は見当たりませんでした。古代の人には、「蓮の実」に寄せる思いが希薄だったのでしょう(D)。

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  027
蓮の実は食べられるか?

 蓮の花が散ると、まだ小さな花托だけが残ります。花托のなかの受精した雌蕊(やがて蓮の実となる)が成長するにつれて、花托もしだいに大きくなり、2週間ほどすると果托(花托は成長すると、果托と書き換えます)のなかの実が成熟します。
 そのころの果托を割ると、淡い緑色の実が出てきます。その淡い緑色の皮を剥くと、白色の実(子葉)が出てきます。それが「蓮の実」で、生で食べられます。美味!中にはすでに1センチほどの幼芽が宿っています。
 この幼芽を蓮子心といい、漢方薬として昔から活用され、解熱や健胃の薬効があります。この蓮子心を湯飲茶碗に5〜6粒入れ、お湯を注いで、蓮茶としても愛飲されています。この蓮子心をそのまま食べるとちょっと苦いですが、良は口に苦しです。
 花弁が散って3週間ほどすると実が熟しきり、果托が最大になります。中の実は淡い緑から黒褐色になり、その外皮は非常に堅くなります。この外皮が非常に堅いため、内部の子葉が外気
に触れることなく、蓮の実が長寿を保つと言われています。中国や台湾では、この蓮の実を採取して、人の手で皮を取り、幼芽を取り去ったものを、 「蓮の実」 として商品にしています。中華料理に欠かせない食材です。また、これを粉にして 「蓮子粉」 としても売られています。
 近年中国では、蓮の実を収穫する品種の改良が盛んで、いろいろな品種が作られています。太空蓮がその代表で、江西省広昌県は最大の生産地です (Z)。

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  028
  日本的、蓮根調理法は?

 日本人はレンコンが大好物です。ほとんど一年中、新鮮なレンコンが入手できるし、その調理方法も簡単だからです。
 レンコンが古くから、蔬菜や生薬として利用されていたことは、『常陸国風土記』や『肥前国風土記』に、「蓮根はたいへんおいしく、他では味わえない、病人がこの蓮根を食べると、早くなおる」と出ている通りです。
 レンコンが蔬菜として盛んに生産されるのは、文献上では、江戸時代になってからのようです。江戸期には何度か大飢饉があり、そんな時には、蓮の葉から根まで(じつはレンコンは蓮の茎で、本当の根は、節と節の間から出ていて、とても細い)食べたと、『救荒本草略説』(嘉永年間)に出ています。 明治の初期になり、中国からレンコン収穫用の品種が輸入されると、生産高が飛躍的に伸びることになりました。
  簡単で美味しいレンコン料理を一品。
  新鮮なレンコンの第一節を、厚さ約1ミリの輪切りにします。
 それを10〜20秒ほど熱湯をかけるか、熱湯に浸します。
 最初は白っぽかったレンコンが、ほどなく透き通ったら、取りあげて氷水に入れます。冷えたら水分をよく切り、わさび醤油で食べます。名づけて、「レンコンの刺身」。簡単で美味です。一度、お試しください。
 ちなみに、レンコンを、輪切りにするのではなく、縦に大きめに切ると、食べたときに糸が出てきます。これを好む人もいます。また、棒などで叩いてつぶしてから料理すると、食感の違ったレンコンが楽しめます(Z)。

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  029
 レンコンの栄養価は?

  レンコンは比較的安価であり、一年中入手でき、しかもきわめて栄養価の高い野菜です。幕の内弁当の煮物には、ほとんどレンコンが添えられています。
 レンコンの主な産地は、北から茨城県、新潟県、石川県、愛知県、広島県、徳島県、山口県、佐賀県、熊本県まで、広く各地で栽培されています。
 近年、中国や台湾などから、現地で加工されたものが大量に輸入されています。
 わが国では、日常的に摂取するほとんどの食品の栄養成分を分析したものが、『日本食品標準成分表』(科学技術庁資源調査室編)として、発表されています。最新のものは、2001年に5訂が発表されています。同書にはエネルギー、たんぱく質、脂肪、炭水化物、灰分、無機質、植物繊維などについて、36項目の数値がでていて、多いに参考になります。
 レンコンの項には、「生のレンコンとゆでたレンコン」の数値が出ています。
 それによると、レンコンに含まれている成分は、可食部で水分が約82%、残りは炭水化物約16%、たんぱく質が約2%、繊維質は約1%などです。また、レンコンはビタミンCが豊富で、特にカリウム、リン、繊維質を多く含む栄養豊かな野菜です(Z)。

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  030
  蓮の生花は? 最初は?

 美しい香りのよい花を、尊ぶ存在に献じたい気持ちは、時代や地域を問わない人情なのでしょう。5世紀、南北朝の中国ではすでに、「花を献じて、仏に供えるものあり」『南史』と、蓮の活花が仏前で行われています。
 仏典によると、供華荘厳の功徳が説かれ、その最上花が「蓮花」であると説かれています。初期の仏教では、生花(なまばな)を散らす(散華)だけでしたが、やがて仏の持花や、瓶への挿花による荘厳に発展していきました。
 南方仏教の国々では、民衆が今日尚盛んに蓮花を寺院に供えています。唐初(618〜706)の敦煌石窟の壁画には、すでに蓮花を手に持つ菩薩や散華する天女が描かれていました。
 日本では仏前を荘厳する供華は、平安時代中期(11世紀)頃より香道、華道(挿花)、茶道などが相互に影響しながら芸域に発展し、それを業(なりわい)とする家元が生じてきました。
 華道の家元は「挿花(立花)の基本定型」を定め、それを伝える『花伝書』を伝えています。この挿花における蓮の花は、蓮池
の風情を想わせる自然感を重んじており、蓮を生けるには、花より葉の方が重視されます。
 また、蓮は水揚げが極めて悪く、蓮の葉、花、蕾をいかに乾燥させないか、各流派の秘伝がありました。
 『花伝書』には、蓮を生ける時「三世を立てよ」と伝えられています。「蓮花・蓮葉」で過去、現在、未来を瓶花に表現しなければなりません。過去は「開き切った葉・果托」、現在は「中途開きの葉・開花」、未来とは「剣(巻)葉・蕾」をいいます。
 このように、しばしの生命である挿花に蓮花を用い、過去、現在、未来の三世を幽玄に表現しています。日本ならではの時空間、虚空間を演出する蓮活花の伝統芸術といえます(T)。