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  011
  蓮の葉に水玉ができるわけ?

 蓮の葉に触ると、表面がツルツルとした葉と、ザラザラとした感触の葉があります。どちらの葉も、顕微鏡で拡大して観察すると表面には、10μm(マイクロメートル)程度、頭が半球となった円柱が規則正しく、並んでいます。
 それはワックス様物質でできています。そのため、水がこの上に乗っても、葉の表面に広がって濡らすことは出来ません。水そのものに表面張力、凝集力があり、玉となってしまいます。
 また、ザラザラした葉には、ところどころに毛茸(もうじょう)と呼ばれる突起があります。
 この様な、水を弾く性質を撥水(はっすい)性、といっています。蓮の葉には、とくにこの性質が際だっていて、「超撥水性」と言われるほどです。
 最近では、水玉が移動する時に、蓮の葉の表面のゴミを、取り込んでしまう現象に着目して Lotus effect (蓮の葉効果)という言葉が使われるようになりました。
現在、生物の仕組みに着目して、我々の生活に有用なものを探しだす研究が、世界各国で進められています。
 愛・地球博(2005年、愛知県)のドイツパビリオンでは、STO社が出品した外壁用塗料が話題となったことは記憶に新しいです。
 それは水をかけると、水滴がゴミを集めて落ちるという、蓮の
葉の自浄作用にヒントを得たものでした。
 わが国においても、ナノテク、薄膜技術、繊維などの分野で同様の研究が進められています。撥水性のある繊維等は、その実例です。このように「蓮」は現在も注目に値する植物です。
 「泥中の蓮」という言葉が使われることがあります。『維摩詰所説教』に「譬如高原陸地不生蓮花 卑湿淤泥乃生此華」とあるそうです。高い陸地に蓮花は生えず、低い湿地の泥のなかに花(華)を咲かせる、という意味でしょう。
 それは「泥の池の中にあっても、清らかな花を開く蓮」を例にして、煩悩の汚れの中にあっても、それに染まらず、清浄を保っている人の喩えでしょう。
 花にも、葉と同様に、水を撥(はじ)き、自浄作用があるかどうか、よくわかりません。
 昔の和歌などに詠まれた蓮は、花よりも、むしろ葉の水玉についてのほうが、多いようです。長い時間、葉の上に留まることの無い状況が、日本人の心に符合したと言っても良いでしょう。(K)

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  012
  蓮の香りの正体は?

 蓮の花の匂いを、あなたは嗅いだことがありますか?
 花の種類を、匂いで判別できるのは、その花が空気中に発している種々の化学物質による刺激を、あなたの脳が総合的に記憶しているからです。
 香りの溶媒抽出成分を分析すると、70種類ほどの成分が検出されますが、主としては10種類です。ヘッドスペース香気成分分析では、主として4種類の主成分が、蓮の香りの特徴を表現しているようです。その代表が、1,4−Dimethoxybenzene で、その化学式は C6H4(OCH3)2 です。
 面白いことに、蓮の品種によって香りに差異があります。かつて資生堂のホームページに、蓮の香りの分析結果が紹介されていたことがありました。
 蓮の花の香りは、花弁よりは、主として雄蕊からでています。蓮の花の受粉は昆虫が行いますが。蓮は蜜を出していませんから、虫を集めるのに匂いが利用されている可能性があります。それは花粉の成熟度と香気成分の量の変化、発熱の相
関から想像されることです。蓮の葉にも、香りがあります。中国の「西湖紅蓮」は、葉の香気が際立った品種として有名です。蓮の葉の精油成分は、アルカンやリナロール、α―テルピオールなどのようです。
 蓮の葉茶は、蓮茶(お茶に雄蕊や蓮花の香りをうつしたもの)と同様、愛飲されます。 
 ハスの葉で包んで調理した料理もまた口福のひとつです。(K)

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  013
  蓮の花が開くとき、音がする?

 音は、しません。古今の有名な作家や文化人が、「蓮の花が開く時、ポンと清らかな音がする」と書いたり、話しています。なぜでしょう?生物関係者では、市村塘(ツツム)氏が明治27年、『植物学雑誌』(91号)の雑録に、「不忍池で夜明けとともに音を発するのを聞いた」と書いています。
 ところが、まだ学生だった生物学者の三宅驥一氏は明治31年、同上雑誌(142号)の論説に「蓮ニ関スルノ生理的観察」を発表。小石川の植物園で開花を見守り、開花の様子、発熱の測定、葉の伸長、花梗の伸長などを詳細に調べて、「開花ニカンスル二三ノ生理的観察」(和文、英文)では「余ハ…終ニ開花時ニ於テ音ヲ発スルヲ聞カザリキ…」と結論しています。 
 昭和10年、不忍池で「観蓮節」を復活させようと、「蓮博士」大賀一郎、牧野富太郎、三宅驥一たちが集まりました。弁天堂
前の石橋付近で実地検証した結果、「蓮の開花には発音は伴わない」としましたが、『朝日新聞』紙上で論議が起きました。翌11年(1936年)7月24日、観蓮節の際には、マイクロフォン等も準備されましたが、音は拾えませんでした。『読売新聞』7月25日夕刊には「マイクも沈黙して音なく咲く蓮の花」「三度目の実験…俗説を破る」と報道されました。
 日本には、虫の音の違いを聞き分け、風の音にも季節を感じてきた文化があります。「蓮の音」の真偽と騒動は、こうした情緒を背景にして、考えることもできます。(K)

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  014
  蓮の花は4日の命?

 蓮の花の蕾が水中から顔を出し、凛として立ち上がり、しだいにふっくら丸みを帯びながら、20日ほどすると開花します。蓮の花が咲く時間は早朝です。また、一番美しいのも早朝です。蓮の花は開閉を3日間繰りかえして、4日目、花弁は全部散ってしまいます。蓮の花は常に同じ姿ではありません。この4日間、その形を変えます。
 開花1日目 早朝5時から6時頃より開きはじめます。蕾の先が4〜5cmほど開花すると、それ以上は開かず、やがて元の蕾の状態にもどります(舞妃蓮・ミセススローカムなど黄紅系統の蓮は半開まで)。開花2日目 早朝7〜8時頃までに開花します。この時の花が最も美しく、花の色が一番鮮やかです。花托も黄金色に輝き、雄蕊からの香りが最も強い時です。花は少しずつ閉じて昼頃までには完全に元の蕾の状態にもどります。
 開花3日目 早朝より咲きはじめ、8時頃までに完全に開き、花径が最大になります。花托の雌蕊は受粉して柱頭が黒くなります。開花が2日目か3日目の花かを見分けるには、柱頭を見れば分かります。花は昼頃から閉じはじめますが、半開のまま4日目を迎えます。3日目になると、紅蓮系統の品種はかなり退色します。
 4日目 夜半より開きはじめ、7時頃までに完全に開ききり、早いものは9時頃より花弁が散りはじめます。午後には完全に散って、花托と雄蕊だけが残ります。
 このように、蓮の花は早朝に咲きますので、早起きして出かけましょう。姿、形、色は開花2日目が最も綺麗です。また、花容は常に変化していますので、何日か続けて観察するといいでしょう。(Z)

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  015
  最初に観蓮をした人は、だれ?

 沼や池に自然に咲く蓮でなく、人工的な環境での観蓮ならば、それは呉の夫差(ふさ)が寵愛した西施(せいし)だとされます。
少なくとも、記録に残されている限りでは、そうなるようです。
 西施は越の美人で、楊貴妃とともに中国の4大美女のひとりとされます。西施を寵愛し、彼女のために観蓮の池まで造ってやったのは、呉の国王の夫差です。 
 この2つの国は、「呉越同舟」という言葉があるように、実力は互角、いわば好敵手の関係でした。なぜ越の美女が、呉王の愛妃に? という興味ぶかいテーマに関心をもつ人は、中国の古代史を勉強ください。
 約2500年前、西施が観蓮をした「玩花池」(がんかち)は、現存しています(写真、2004年に撮影)。蘇州の呉中区(もとの呉県)の景勝地として有名な霊岩山にあります。たて横が約12bあり、浮いていたのは(残念ながら)睡蓮の葉でした。
 西施が愛したのは、紅蓮だったそうです。呉県の西には、「呉越を孕(はら)む」とされる太湖(たいこ。琵琶湖の3倍以上)が広がっています。そこに生息していた紅い花の蓮を、夫差は霊岩山に移植し、西施の歓心を買おうとしたのです。なにしろ彼女は、笑わないことで有名であり、顰(ひそみ)に倣(なら)うという故事の人ですから。ちなみに、唐の玄宗皇帝が楊貴妃とともに観蓮をした太液池(たいえきち、西安)の遺跡が、昨年(2006)発掘され、蓮の葉の化石が出土しています。(G)

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  016
  蓮の花で、街を飾った最初は?

 1996年6月、中国・マカオを訪れました。街のあちこちの広場には、千を単位とする蓮の鉢が並んでいて、蓮の花を市民が楽しんでいました。その光景を見た時の驚きは、今も鮮明に記憶しています。    2005年に訪れた、山東省済南市・泉城では、公園の街路樹の下に、鉢植えの蓮の花が並べられ、公園中央の大噴水は蓮の花のオブジェで、音楽にあわせて水煙が勢いよく上がっていていました。
 2006年、浙江省の杭州市にある西湖を訪ねました。そこの曲院風荷の歩道には、鉢植えの蓮の花が10鉢ほど花壇のようにアレンジされ、歩道の所々に置かれていていました。それは街の景観をデザインすると共に、観光の客心を癒していました。中国の省都および大都会の公園や植物園の池には、蓮が植えられています。場所によっては園内に4〜5000鉢の蓮の花が並べられ、夏の風物詩となっています。このように、蓮の花で街を飾るようになったのは、いつ頃からでしょうか? 
 それは12世紀初成立した北宋(960〜1127)の都・東京(とうけい・今の河南省開封市)でのことでした。その出来事を記した孟元老著『東京夢華録』(とうけいむかろく)には、次のように出
ています。
「御街(皇帝がとおる道)は幅もひろく、その両側に煉瓦や石を畳んだ御溝水(ほりわり)が2本ある。そこ全部に蓮が植込まれ、その岸には、桃・季・梨・杏の木が植わり、そのほか色々の花もまじって、春夏の頃には、錦繍のような眺めであった」。約900年前に蓮の花で街を飾っていた様子が書かれています。
 近年、日本でも蓮の花で街を飾る蓮愛好家が現われています。蓮の花で町起こしをしている福島県桑折町には、NPO法人「花の郷夢工房」があります。そのメンバーは夏になると、町内の主な場所に鉢植えの蓮をおき、人々の心を爽やかなものにしています。(Z)

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  017
  品種を意識しての観蓮は?

 その最初は、12世紀の宋代、中国でのことでした。ここでいう品種とは、蓮の花の色をちゃんと意識し、観賞という目的を備えた蓮の種類という意味です。根拠は、「宋の孝宗年間(1164〜1189)、池のなかに紅と白の荷(蓮)を多く植え、(具体的には)焼物の鉢を花の色別に、底に並べる。それを時に入れ替えれば、まさに美観となす」という『花史』の記述です。
 大自然のなかでは、淘汰された結果なのか、品種というのは本来それほど多くないのか、ある1つの種類が支配的に生息しているようです。それ自体は、壮観であり、まことに美しいものです。ただ人間という動物 は、それとは異なる景観にもまた興味をつ傾向が、かなり強いようです。
 鉢ないし甕(かめ)に、蓮を植えて育てれば、その地下茎(いわゆる蓮根)により、品種を保つことが可能です。これは園芸の始まりであると同時に、人工的に交配して、新しい品種を作りだすことも可能です。その結果として、観蓮の楽しみは、何倍にもふく
らみます。
 蓮の品種そのものについて、中国では、『酉陽雑俎』(ゆうようざっそ)9世紀 4品種、『遵生八牋』(じゅんせいはっせん)15世紀 6種類などが古い記録です。日本には、蓮の絵を美しく描いた「画譜」(がふ)として、『池のにしき』19世紀  35種『清香(せいこう)画譜』19世紀 55種などがあることを指摘しておきます。(G)

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  018
  敦煌の壁画に、観蓮の絵がある?

 あります。それは第290窟にある壁画の「出游観花」です。数人のお供をつれた主人(男性)が、池のなかに咲く蓮の花を観ています。蓮の花弁は、その縁が黒くなっています。これは退色したためであり、本来は赤ないし紫色だったと思われます。 
 敦煌(甘粛省)で観蓮をする主人は、池のほとりに、どっしりと座り、お供の者たちはその後ろに立っています。その衣装や冠りものからして、漢族ではなく、いまでいう少数民族(ウイグル族)のようです。
 地球の温暖化に、警鐘が鳴らされています。それは確かに、人間の生活から排出される炭酸ガスや、オゾン層の破壊と関係があるようです。同時に、この「青い」地球の環境変化は、われらの理解と想像を越えることもあるようです。5世紀の敦煌には、無数の寺院があり、人びとの豊かな暮らしがあり、観蓮ができるほどの条件があったのです。そんなことは、現在、「砂漠のなかの真珠」にたとえられる敦煌からは、とても考えられないことです。
 さらに言えば、楼蘭のように、流れる熱砂に埋もれたケースもあります。オアシス都市の楼蘭は、漢代
(紀元前後400年間)、には、なんと人口が2万という繁栄ぶりでした。
 明るい話題を、2つ。 敦煌の第61窟には、「蓮の香りをまく香積菩薩」の壁画があります。10世紀の五代の作品で、五彩の蓮の雲にのった菩薩が、壷から、粒状の光りががやく「蓮の香り」を下界にまいている図なのです(012参照)。2つ目。新疆のタクラマカン砂漠の北に位置するコルラも、歴史あるオアシス都市で、現在は原油の積みだし基地。その東にあるボステン湖に、アシが群生し、蓮の花が咲いているという情報がありました。(G)

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  019
  蓮の花にも、誕生日がある?

 ほんとです、蓮の花に誕生日がある、というのは。農歴の6月24日が、蓮の花の誕生日です。これを新暦に換算すると、約1カ月ほど遅くなり、7月の中旬です。
 じつはこれは、17世紀の明末に、蘇州の民間から起こった風習とされます。この時期、蘇州城の南門をでると、一面の蓮の田んぼが広がっていました。蓮の花は、当然のこと、満開であり、いまを盛りと咲き競っています。人びとは酒食を用意し、小舟を仕たて、蓮の花の海へと繰りだします。飲めや、歌えや、という楽しい1日です。
 誰いうともなく、こうした宴の日のことを、蓮の花の誕生日とか、荷(蓮)を観る節(祭り)と呼ぶようになりました。この風習はやがて、全国の蓮のある場所へと広まっていきました。「荷池」それ以前の元代すでに、読み物の『第七才子書』には、男性が琴をつまびき、その横にいる麗人と観蓮する描写があります。
 人に誕生日があるように、美しく咲いた蓮のために、誕生日を考えついたのは、蘇州の民です。これぞまさしく、「文化力」です。蘇州は、かつて呉の国都
であり、いまも昔も、文化の発信地なのです。
 清代の蘇州の民間風俗を紹介した『清嘉録』(顧禄)には、6月24日、虎山かいわいが、蓮の誕生日で賑わう様を「荷花蕩」(かかとう)と表現し、紹介しています。日本の文化人たちも、この麗しい中国の風俗に注目しました。江戸末期の詩人・館柳湾は、あまたの漢籍を渉猟し、『林園月令』を著わしています。その中には、「荷花蕩」「観蓮節」のことが記されています。(G)

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  020
  蓮の花は移ろうか?

 花の色は、移ろうか?
 蓮の花の色は品種によって異なり、大別して白、紅、爪紅、斑、黄、黄紅などがあります。「大賀蓮」などの紅蓮系統の品種では、開花1日目の花色が一番濃く、開花が進むにつれて花色が淡くなります。この現象は、紅色が実際に退色することと、一花弁中の色素含有量がほぼ一定であるのに対し、花弁の面積が徐々に広くなることによって、花色が淡くなったように見えることによります。
 妙蓮が顕著な例で、蕾のときは淡桃色に見えますが、開花が進むにつれ、花の中心部(新しい花弁)が見えると濃紅色の品種であることがわかります。妙蓮は、一般品種と比べ、花弁はほとんど散らないので、紅色の退色に加え、花弁の面積拡大により、更に花色が淡く移ろい、本来の花色を隠しながら淡くなった花色を長期間我々に見せていることになります
。 
 また、京都・巨椋池由来の品種 「巨椋の曙」 のような退色が顕著な品種では、開花1日目は淡桃色ですが、2日目以降は白色に移ろい 「狐に化かされたような錯覚をおこす蓮」 という理由から、別名 「キツネ」 という愛称で呼ばれていました。
 黄紅系統の品種(黄蓮と紅蓮の交雑種)では、開花2日目以降、紅色の色素が黄色の色素より先に退色してしまい、残された黄色に花色が移ろいます。(Y)