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  091
  
『源氏物語』のなかの蓮や荷は?

 けっこうよく登場しています。それらを実際の蓮(花)と、荷葉(かよう)という香に分けることができます。ここではおもに前者を取りあげます。
 『源氏物語』のなかに蓮(はちす、はす)は、神野藤教授のお話(特別講演、蓮文研の総会、2008年)によれば、全部で20回も登場するそうです。なかでも、 「夏ごろ、蓮(はちす)の花の盛りに、入道の姫君の御持仏ども‥」(鈴虫)のくだりは、出色です。「入道の姫君」とは、出家した「女三の宮」 (源氏の妻だった) のこと。
 彼女の持仏のために、盛大な開眼供養がとり行なわれたのです。その様は、夜の御帳台の帷を4面も開き、仏の背後には曼荼羅を飾り、水の入った閼伽(あか)には「青き、白き、紫の蓮を調へ」と いうもの。ここに書かれている「青い蓮」「紫の蓮」とは、どんなものだったのでしょうか?
当然のこと、この持仏開眼の場面には、荷葉もくゆらせてあります。荷葉は、平安時代によく用いられた6種の香の1つで、夏の室内で用いられたものです。これについては、蓮 Q&AのEグループ 42「荷葉」を、ご覧ください。
『源氏』の千年紀にあたる今、悠久の歳月を超えて、往時の蓮に想いを寄せながら、当時の荷葉を再現できることを、幸せに思います(KA)。

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  092
  
『風土記』のなかの蓮は?

 『風土記』とは和銅6年(713)元明天皇の命によってまとめられた地誌。諸国の郡郷、地名の起源、土地の肥沃の状態、伝えられる引聞異事などを記したものです。
 ほぼ完本で現存するのは、天平5年(733)の日付が残る『出雲風土記』だけで、他の『常陸風土記』、『肥前風土記』、『播磨風土記』、『豊後風土記』は、一部が伝わっています。蓮の記述をみてみます。
 『出雲風土記』には、「養老元年より以往は、荷?(自然 叢れ生いて太だ多かりき。二年より以降、自然 失せて、都べて茎なし」(養老元年までは、蓮がたくさん生い茂っていたが、養老2年以降は自然になくなった」とあります。
 『常陸風土記』には(上)、「蓮根は、味気 太だ異にして、甘きこと、他所 に絶れたり。病める者、此の沼の蓮を食へば、早く差え
て験あり」(蓮根は味がよく甘さは他所のものより勝れている。病気の人が蓮根を食べれば早く治る。)とあり、蓮根は生薬として、食されていた様子が、記されています。
 『肥前風土記』には、「荷、菱、多に生ふ。秋7、8月に、荷の根甚甘し」(〈池に〉蓮、菱が多く生えていて、7〜8月の蓮根は大変美味しい。)とあり、旬の蓮根が食卓を飾っています。
 蓮根は古くから生薬や食料として活用されていました(Z)。

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  093
  『本草綱目』のなかの蓮は?

 それは驚くべき内容です。なぜなら『本草綱目』(ほんぞうこうもく)では、蓮という植物を、根・茎・葉・花弁・雄しべ・めしべ・花托や果托・実・実の芯などに分けて、それぞれの薬効を論じているからです。例えば、蓮の実 ― 甘く、渋く、無毒。百病を除き、常服すれば年(齢)を延ばす。
 蓮の葉 ― 苦く、無毒。渇を止め、産後の口の乾きを治す。
 蓮の花 ― 苦く、甘く、無毒。心神を安らげ、顔(色を養う。
 レンコン― 甘く、無毒。熱による渇を治し、五臓を滋(うる)おす。
 蓮の実の芯 ― 苦く、無毒。貧血や産後の渇を治す…という具合です。
 李時珍(りじちん。写真は、郷里の湖北省にたつ像)のこの畢生の巨著(全52巻、1892種を収録)が刊行されたのは、1596年
(明代)のことでした。それは彼の死後3年目のことです。
 日本にこの『本草綱目』が紹介されたのは、1607年、林羅山(はやしらざん)によってでした。彼は徳川家康のブレーンでもありました。
 なお、中国で蓮(レンコン)の薬用に注目した最初は、漢代の薬学書『本草経』(ほんぞうきょう)です。それは今から約2000年も昔のこと!(G)。 

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  094
  古代中国には蓮の専門書がある?

 あります、清代(1808年)の『缸荷譜』( こうかふ)がそれです。著者の楊鐘宝は上海の人、江南(江蘇・浙江の一帯)の蓮を調べて、33品種の花蓮を選びだし、それらを考察した結果の著作です。
 この『缸荷譜』を、「中国初の花蓮の専門書」と高く評価しているのは、王其超ご夫妻の『中国荷花品種図誌』(蓮のQ&A95番、参照)です。それによれば、13世紀初から19世紀初にかけて、蓮は盛んに栽培され、観蓮会もよく行なわれたそうです。そうした背景から、『缸荷譜』が誕生したのです。
 まだ日本語に翻訳されていない『缸荷譜』ですが、その主要な部分は、『蓮への招待』(三浦功大著。蓮のQ&A97番、参照)ですでに紹介されています(第205?208頁)。それによれば蓮の花は、第1レベルの分類として花弁(単弁・重弁・千弁)、第2として花の大きさ(大・小)、第3は花の色(大紅・水紅・銀紅・捻紅・白・灑金・錦辺)
、第4は花弁の形(丸い・尖る)です。
 この中で、捻紅(ねんこう)は、日本でいう爪紅(つまべに)です。灑金(さいきん)とは、伝統工芸の世界で、「金箔を吹きつける」ことですが、蓮の花の場合、どういう色や形状をさすか、不明です。これら以外はほぼ想像がつくでしょう。
 以上が、楊鐘宝いうところの「芸法六条」であり、その内容は今日なお一定の参考価値をもつという点で、まさに中国初の花蓮の専門書です(G)。

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  095
  現代中国には蓮の専門書がある?

 あります、『中国荷花品種図誌』(2006年、中国林業出版社)がそれです。この本の著者である王其超・張行言ご夫妻のことは、ほとんど説明不要でしょう。中国で、花蓮の展覧会や蓮観蓮のシンポが盛んであり、われらも招かれて参加、出席しています。すべて王先生ご夫妻を中心とした人たちの功績であり、そのお陰です。
 2004年夏、ご夫妻は蓮文化研究会の招きにより来日、東京から京都にかけての各地で講演され、蓮の関係者と交流して、忘れがたい印象を残されました。
 これまでにも王先生ご夫妻には、『中国荷花品種図誌』(1989年)『中国荷花品種図誌・続誌』(1999年)などの専門書があります。今回の著作はその集大成ともいうべき内容です。その特長は、みごとな図版もさることながら、体系的であること、その独自の分類法、収録された花蓮の数の多さです。
 全9章からなり、第1?8章では、蓮の起源から分布、歴史、栽培などが論じられています。とくに7章では、中国と日本の分類を比較し、中国では最終的に二元分類となり、3系・6群・16類・48型となった、とあります。
 第9章(各論)は、全体の3分の2強をしめる頁数ですが、品種ごとに起源やサイズ、花の数や時期などを詳述しています。ちなみに総数は608品種であり、巻末の索引は中国語とローマ字が併記されており、じつに便利です(M)。

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  096
  日本古代に蓮の専門書は?

 日本古代・中世・近世・近代を通して蓮だけをとりあげた専門書と呼べるものはありません。中国から本草関係の書物が伝えられていましたが、1596年52巻に及ぶ李時珍の「本草綱目」が1607年には日本にもたらされました。
1639年刊行された徐光啓の「農政全書」にでている「蓮」も元禄7年(1694年)貝原益軒の「花譜」・1704年の「菜譜」に記述引用されています農書として有名な、「農業全書」は、1697年(元禄10
年)、宮崎安貞によって書かれましたが、「農政全書」「本草綱目」の影響を強く受けています。
 その後、島津重豪が曽槃・白尾国柱らに命じて、和漢の資料で考証させた「成形図説」(1804年?1805年)へと続き、佐藤信淵の「草木六部耕種法」(天保3年・1832年)の蓮へと続きます。信淵に対する評価はいろいろありますが、明治初期、勧農局が農業に必要な書物をまとめた「農書要覧」という本には、「成形図
説」と共に、「草木六部耕種法」も載せられています。六部というのは、作物を根・幹・皮・葉・花・実のどこの部分を目的にする作物かで分け、土質、肥料、播種など解説しています。
 蓮は蓮根用の需根部と需花の双方に出ています。種の雌雄などの、理解し難い記述もありますが、肥料に、有機質肥料のほかに、石灰、硫黄、鉱山残滓などの無機質肥料の記述があります。また東金で池を作った時に出た昔の蓮実を処理して播いて発芽したとの注記があります(K)。

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  097
  現代日本には蓮の専門書がある?

 蓮事典と称せるほどの学術研究書は、残念ながらまだ皆無です。
 蓮は文化的には仏教経典を抜きに出来ませんが、これを除く、それに準ずる唯一の専門書を上げれば、『蓮への招待』三浦功大著(2004年、西田書店)があります。
 この本はA5版487頁(本文)+ 索引(37頁)であり、最大の特徴は蓮を理解するために欠かせない、重要な文献を数多く紹介していることでしょう。
 その内容は、蓮に関する植物学資料に始まり、考古学、蓮の歴史、品種と図譜、観賞蓮栽培史、蓮名所、蓮に関する行事、蓮文様と美術など、花蓮に関する重要な面を中心にして、分かりやすく総合的に記述されています。
 また、花蓮の品種、歴史的な文化資料や美術品などが最も多い中国、日本の蓮に的がしぼられており、蓮の生育形態、文化に
係わってきた蓮について資料写真、図版等を的確に揃えて纏めています。ことに花弁だけの妙蓮、江戸期の蓮を愛でた大名の観蓮等の豊富な資料は圧巻です。東洋種、アメリカ種の大別の記述、遺伝学上や蓮の香りについての研究など最新の論文も掲載されており、今後の学術研究へのステップ資料として一定の役割を果たすものと思われます。中国、日本だけをみても蓮の資料は膨大ですが、一般の人が理解しやすい課題を中心に分かりやすく解説しており、蓮を詳しく理解出来る便利なハンドブックと言えます(T)。

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  098
  アメリカにも蓮の専門書がある?

 あります、2冊。『WATER GARDENING Water Lilies and Lotuses』(水辺の園芸 睡蓮と蓮/1996年。)と『Waterlilies and Lotuses』(睡蓮と蓮/2005年。写真、左)です。
 前者は、P・D・スローカム、P・ロビンソン、F・ペリーの共著で、309頁。主な内容は、熱帯および温帯の睡蓮、それと蓮について、原種と園芸品種、その交配や文化の歴史です。残念ながら、蓮が主役ではなく、記述は11頁だけです。
 後者は、P・D・スローカムの独著で、260頁。その内容は、主に前者の睡蓮に関する部分を抜粋し、さらに最新の情報を加えおり、蓮については14頁です。2種2変種の蓮を取りあげ、記述のポイントが園芸品種にあることは、前者と同じです。
 かのミセス・スローカムは、日本でも人気のある品種です。それに関して、「キバナハスとロセア・プレナとよばれる紅八重の園芸品種を交配して、(P・D・スローカムにより)1964年に作出され
た」との記述は興味ぶかいです。2冊の蓮の本を書いた人が作りだし、夫人に捧げた花こそが、ミセス・スローカムなのです。ここでいうロセア・プレナは、日本や中国によくあるピンク系かと思われるのですが、原書からは、それを特定することができません。また、アメリカ大陸に特有のキバナハス lutea があるわけですが、2冊の原著では、園芸品種 Yellow Bird の記述があるだけです。日本や中国と異なり、原産国では、キバナハスはあまり注目されていないのでしょうか(Y)。。

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  インドには蓮の専門書がある?

 あります、V・K Malhotra 博士 の Lotus(蓮)がそれです。英語で書かれていますが、じつはその原本があり、それはヒンディー語で書かれていました。原本は1994年、英語本は1999年に、それぞれ出版されています。
 そのサブタイトルにある「永遠の、文化的、シンボル」が、この本の内容をよく示しています。目次を見れば、それはさらに明らかです。例えば、
 6章 文化シンボルとしての蓮
 7章 ヒンズー教の伝統にみる蓮
 8章 仏教の伝統にみる蓮
 9章 ジャイナ教の伝統にみる蓮
10章 シーク教の伝統にみる蓮
13章 イスラム建築にみる蓮
さらに興味ぶかいのが、最後の2つの章です。
14章 芸術・建築・図像にみる蓮
15章 文学にみる蓮
ちなみに、この本Lotus は、畏友で、インド人のKさんが、インド中を探し回って見つけだし、買ってきてくれた本です。古典の引用はサンスクリット語ないしヒンディー語の部分もあり難解ですが、いつか日本語で読める日のくることを夢みています(G)。

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  100
  
蓮の雑誌はあるか?

 あります。昭和11年(1936)不忍池畔で明治初期以来、途絶えていた観蓮会が行われました。発起人は牧野富太郎、大賀一郎、三宅驥一らの植物学者で、当日は約70人が参加しています。以後、不忍池では毎年観蓮会が行われるようになりました。この観蓮会の発起人が中心となって「蓮の会」が創立され、昭和13年(1998)に雑誌『蓮』(A5版 48頁)が発行されました。昭和16年の4号まで続きますが、戦争で中断し、5号が出たのは、昭和35年(1960)でした。以後は発行されていません。
 中国の辛亥革命(1911年)の時、孫文を援助した実業家・田中隆に、大正7年(1918)その時のお礼にと、孫文から4粒の蓮の実が贈られました。その蓮の実を大賀一郎が、1961年に開花させて「孫文蓮」と命名しました。孫文蓮の開花を記念し、財界人が中心となって、1961年「蓮の実会」が結成され、同年、会誌『蓮の実』(B6
版18頁)が刊行されました。以後、8号(1962年)まで発行されています。蓮の花が夏の花として再認識されはじめた頃の、1996年夏に、『蓮の話』(A5版 122頁)が発行されました。
編集後記には「ささやかな小冊子をだします。発行意図はきわ
めて明瞭。蓮についての思いを自由に書いていただく事。そして夏の早朝馥郁と香気を漂わせて開く、夏の大宗の花をもっと、皆さんに観賞、育成していただきたいからです」とあります。1999年までに4号が発行されています。他に「蓮」を特集した主な雑誌は、『上方趣味 巨椋池の巻』(昭和7年11月号 上方趣味社)で、昭和8年から開墾されて消滅する巨椋池を特集しています。
『武蔵野 特集蓮』(昭和11年8月号武蔵野会)、『多摩史談 特集蓮』(昭和22年12月号)、『植物と自然 特集蓮』(昭和43年12号ニュー・サイエンス社)。近年、花を特集した5?6冊の雑誌が発行されていますが、「蓮と睡蓮」の特集になっていますので割愛しました(Z
)。