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わが国で最初に郵便切手が発行されたのは、明治4年(1871年)のことでした。それ以来たくさんの切手が発行されましたが、蓮の文様の切手は1977年になってからです。それは第2次国宝シリーズの第 8 集で、国宝「平家納経」妙荘厳王本事品第二十の見返しに描かれている散華がデザインされた切手でした。 1990年発行の国際趣味週間の切手には、国宝「鳥獣人物戯画」に描かれている「蓮の葉を頭に乗せる蛙」があります。1993年には、水辺の鳥シリーズ第6集の「カワセミ」が発行され、蓮田の枯蓮の茎にカワセミが止まっているデザインでした。 待ちにまった蓮そのもの花の切手が発行されるのは、じつに最初の切手が発行されてから128年後のことでした。 1989年から「ふるさと切手シリーズ」の発行が始まり、各県の特産品や名所などを紹介します。1999年7月の同シリーズ「千葉県」は、千葉公園の蓮華亭と大賀蓮を組み合せた、洋画家・中山爾朗が描いた「大賀ハス」 でした(写真)。 |
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2000年の「ふるさと切手シリーズ・岡山県」は、「おかやま後楽園築庭300年」を記念したものです。後楽園にある名所4個所をデザインしており、「花葉の池」には、後楽園に伝わる大名蓮が描かれています。 日本に、沖縄の施政権が返還されたのは1972年のことでした。アメリカ統治時代、琉球で発行された切手に「琉球舞踊」切手があります。踊り手が頭にのせる赤い笠は「蓮の花」です。復帰後の1997年と2005年にも琉球舞踊切手が発行されています(Z)。 |
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やはり本場だけあり、多数かつ多彩です。中国の蓮切手を代表するのは、1980年に中国十大名花シリーズ4番目として発行された蓮の花切手でしょう。品種名としては、白蓮・碧絳雪・仏座蓮・嬌容三変の4種類と、縦93ミリ×横43ミリの「新荷凌波」です。これは圧巻です。 中国で最初の蓮文様の切手は、1956年発行の「東漢の画像磚」4枚の中にあり、蓮の花が咲く池で狩猟をしている「蓮池狩猟図」(狩猟農耕)です。蓮の花がデザインの最初の切手は、1958年発行の花切手3枚の中の1枚であり、蓮の絵が描かれています。 中国における蓮の花は、豊穣や吉祥を寓意する花であり、切手のデザインにも蓮の花が多く用いられます。デザイン的には蓮花、年画、文物、蓮庭園、絵画、磁器、物語などがあり、ざっと調べただけで、約30種類の蓮切手があります。中国の民間では、双頭蓮が吉祥の花として大歓迎されるのですが、まだ切手にはなって |
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いないようです。 江西省の広昌市、広東省の三水荷花世界、広東省の橋頭市、武漢市などの、蓮の花の名所では、中国人民郵政の許可を得てのことでしょうが、あの「新荷凌波」を複製したり、それぞれ趣向を凝らした独自の蓮切手帳を制作し、荷花大会の記念品として配布しています。写真は、第21回荷花展(2007年)を記念して武漢市が制作した切手です(Z) |
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一枚を撰ぶ(中段右)のが難しいほど、たくさんあります。伝統的な中国画や、吉祥の図案をあしらった切手、植物画ともいうべきもの、カエルが遊ぶ漫画タッチのもの等など、手もとにあるだけで、14種類あります。 台湾(中華民国)で発行される切手には、中国(大陸)と異なり、発行年が印刷されていません。そんな訳で、どれが年代的にいちばん古いのかを、すぐに知ることができず残念です。 この「蓮をもつ何仙姑」を選んだ理由は、それがモダンな図案だからです。しかも何仙姑は、中国人なら誰でも知っている仙女だからです。日本では「七福神」ですが、中国では「八仙過海」が、よく知られた絵柄であり、お目出たいものです。おまけに、何仙姑は八仙のなかの唯一の女性であり、その姓の何(ホー)は荷(蓮のこと)と同じ発音です。 |
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台北駅の南にある郵政博物館や、西門町の台北郵便局、それらの周囲にほとんど乱立している切手ショップ…。その界隈を熱心に探せば、「中華民国」発行の蓮の切手がもっとありそうな予感がします(G)。 |
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たくさん、あります。じつに意外なことです。マカオは現在、中国の特別行政区であり、その面積はわずか27平方q、人口は57万人です。そんな場所で、蓮の切手など? と思う人がいたとしても無理からぬことです。 事実は小説よりも…です。わが手元には、マカオ発行の蓮花の図柄の切手が8枚、蓮花の初日カバー一枚、特別行政区成立記念の蓮花の大型リーフレット一枚などがあるのです! それぞれの切手には、特徴と意義があるのですが、やはり「ポルトガルの植民地を脱し」「祖国に帰還した」1999年12月20日発行の切手を選びました(下)。ちなみに切手の右側にある緑色の紋章は、特別行政区マカオの区章です。蓮にかけるマカオの人たちの想いが、そこに具象化されています。 |
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2000年6月、返還一周年の記念行事のなかに、中国の花蓮展と蓮シンポ(第14回)が組みこまれていました。蓮文化研究会の7名がこれに招待されて参加、シンポで論文「日本における花蓮」が発表されたことは栄誉でした(G)。 |
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あります。韓国でも蓮の花は、中国や東南アジアの国と同様、吉祥を寓意する花です。 ただ、陶器、民画、絵画、刺繍などに描かれた蓮の絵は、中国や日本の意匠とは大きく異なっており、韓国独自の発展をとげたユニークな作品です。 しかし残念なことに、そうした蓮の文様やデザインの切手となると、とても発行数が少ないのです。とくに陶器や民画にある蓮の切手が少なく、理解に苦しむのは筆者だけではないでしょう。 1970年に発行された切手 KOREAN ANCIENT FINE ART SERIES 中の一枚は、李朝時代の画家・申潤福(1758〜?)の 筆になる「思女図」(右)です。観蓮の美女の手には、なにやら楽器のようなものがあります。彼にはこの他、「蓮野遊」という作品があります。 1972年には、「武寧王の冠飾」(国宝、6世紀)の記念切手が |
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出ました。これは武寧王(523没)の陵から発掘された黄金の装飾品(冠飾)であり、蓮の花が描かれています。この王陵からは、蓮文様のある王妃の冠飾も発掘されたのですが、切手のデザインとなったのは王の冠飾だけでした。1997年には、THE INTER-PARLIAMENTAREY CONFERENCE を記念して、韓国の伝統的な蓮の民画の切手が発行されました(Z)。 | |||||
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ベトナムの国花も「蓮の花」です。1976年、南北ベトナムが統一されて、ベトナム社会主義共和国になりましたが、統一される前の北ベトナムでは、美しい蓮切手を多数発行しています。 例えば、1965年には、蓮の花を手に持つ建国の父である、ホーおじさん(ホー・チミン)と、子供達が戯れるデザインです(写真)。それより以前の1962年には、5種類の花シリーズとして、菊・朝顔・ハイビスカス・ブルメリオとともに、蓮の花が含まれていています。それは2日目の紅蓮と蕾をデザインした美しい蓮切手です。 1965年には、5種類の花シリーズの中に、白蓮が一枚含まれています。1976年には、議会選挙一周年記念として、白蓮の蓮切手が発行されました。 1978年、8枚の花シリーズが発行されていますが、その中に |
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白蓮と紅蓮の2枚が含まれています。1998年の、ASEAN会議 開催記念に発行された切手は、真上から見た蓮の花の回りを、白い鳩が飛ぶさまをデザインしたものです。2002年に発行されて「ベトナム共産党思想文化委員会」の切手には、国旗と蓮の花がデザインされています。2004年に発行された「ベトナム(越南)建国200年」(1804〜2004)にも、国旗と蓮の花がデザインされています(Z)。 | |||||
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インドの国花は「蓮の花」です。それに加えて、仏教のこともあり、インドはしばしば、蓮の原産国に間違えられます。それは古代文明の遺跡から、蓮文様で装飾された遺物が発見されたり、仏教の誕生とともに、蓮の花が仏教と深く関わったからです。しかし、原産国と特定できるものは、まだ見つかっていません。 インド国旗には、蓮弁に四聖獣が乗っている「アショーカ王柱」が描かれています。これをデザインした「アショーカ王柱」通常切手が、985年に発行されています。サイズや値段の違うものが複数発行されていますが、手元には4種類の切手があます。 しかし意外なことですが、インドで発行されている蓮文様の切手は非常に少ないのです。1954年10月、国際連合加盟10周年を記念して、発行された切手「UNTED NATIONS DAY」のデザインは、国連旗とともに「蓮の花」が描かれています(上)。これがイン |
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ドの蓮切手の最初と思われます。ちなみに国連は1945年、54カ国が加盟して創立されましたわけですが、日本の加盟は1956年12月のことです。 1977年には、花シリーズ4枚が発行され、その中にも蓮の花が含まれています(Z)。 |
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あります。左、右側の蓮の切手は10年くらい前、京都のある玩具店の片隅にある切手売り場で求めました。蓮だけでなく、睡蓮、オニバス、コウホネの計4種のシートで、160円でした。ロシアの蓮の切手は珍しく、宝物を見つけた気分で、アルバムに納めました。 左側の切手は昨年の発行で額面は6ルーブル、日本の封書の80円にあたります。五年前にロシアを旅行した時、封書は5ルーブルでした。 右側の切手は1984年の発行で1K(カペイカ)。 1991年、ソ連は解体しロシアになりました。1ルーブルは100カペイカですから、解体後のロシアでは、物価が急騰、貨幣価値は暴落したことが、この二枚の額面からも分かります。ちなみに日本で1984年、封書は60円でした。 |
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ロシアでは蓮の文様が、工芸品や建築物の門柱の装飾などに見られ、蓮はポピュラーな植物のようです。最近『蓮文化だより』で、アムール川中流域やカスピ海付近の野生蓮に関する論文や報告を読みました。北の大国ロシアで、蓮の花は切手のデザインに採用されるくらいですから、夏あちこちで咲いているのではないでしょうか。いつかロシアの野生蓮を見に行きたいです (I)。 | |||||
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「蒼き狼」の国モンゴルで、蓮の切手(左)を「発見」したのは2002年夏、2度目(最初は1979年)の訪問でのことでした。人生の先輩たちがなぜか、小生とともに中国を旅することが習慣となり、その名も「風の会」。 それまでにもチベットや雲南、シルクロードや浙江など、楽しい日々を過ごしました。そして誰いうともなく、「風の会」でモンゴルへ! と。 THE WHITE LOTUS と書かれ切手が、ホテルの売店にありました。MONGOL POST の発行で、額面は200トグルク。しかし、その絵はどう見ても、WHITEではなく、蓮らしくないのです!? そうか、と思いあたるフシがあったのは、それまでに8回、チベットを訪れていたからでしょう。あのデザインは、チベットの寺院など |
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でよく見かけ、吉祥の文様の一つなのです。ペマ(白い)ギャルポ(蓮)なのです。 それは人の名前としても、よくお目にかかります。仏教を絆(きずな)として、チベットとモンゴルは強く結ばれてきた歴史があります。葉や花の形が異なり、花弁に色がついていても、それはTHE WHITE LOTUS なのです(G)。 |
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意外なことに、あります(左)。切手は、郵便という日常生活に用いられます。だとすれば、そのデザインの素材には、誰でも知っているか、特別に珍しいことが選ばれるのは当然でしょう。 わがアメリカ黄蓮は、残念ながらアメリカでは、ほとんどの人が知らず、特に珍重されてもいないようです。切手などないだろうと、あきらめ顔でした。ところがドッコイ、(講読している)切手マニアの月刊誌に登場、さっそく買い求めました。それは2006年の発行、40枚シートで、タイトルが「WONDERS of AMERICA」(アメリカの驚異)と、なかなか奮っています。 アメリカ黄蓮はそのうちの一枚で、絵はよく出来ています。そこにある「Largest FLOWER」には、ほんとかな? と疑問符をつけておきましょう。南方熊楠でさえ、無いと断言した黄蓮のある新大陸アメリカです。もっと大きな花がないと、誰が断言できるでしょう。こ |
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のシートは「家の宝」で、もったいなくて、使うことはないでしょう。 もう一枚、モノクロで、芸術的な香気のする切手があります。それは2001年に発行され、著名な20名の写真家の作品を一シート(MASTERS OF American Photography)の切手にしたなかの一枚で、E.スタイケン(1973年没)の蓮の花の写真です(G)。 |
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